2011/02/13

函館元町の明治の百年住宅が解体される


重機が入り解体が進む旧伊藤家住宅
 今朝の北海道新聞朝刊の道南面を見て、ついに、やっぱりかとため息をつきました。最後の姿を見届けなければとの思いで早朝、車を走らせました。

 元町31番に建つ、1911年(明治44年)に海産物商が建築したれんが造りの住宅のこと。「函館の建築探訪」(1997年北海道新聞社刊)には旧伊藤家住宅として登場しています。

 数年前から、大きな看板に〇〇管理地と書かれた看板がつけられたので解体の可能性があるとは感じていましたが実際に解体される姿を見るのは本当につらく悲しいことです。 
蔵があるどっしり重厚感ある佇まい

現在の西部地区の市街地のほとんどを焼き尽くし、石川啄木も友人宛の手紙に「函館は死んだのだと僕は思う」と書いたほどの大火であった、1907年(明治40年)8月の大火以降、函館のまちにはレンガの耐火構造の建物が多く建てられました。

 1908年(明治41年) 旧ロシア領事館
 1909年(明治42年) 金森倉庫
 1910年(明治43年) 中華会館
        1911年(明治44年) 明治館(旧函館郵便局)
        1912年(明治45年) BAYはこだて(旧日本郵船倉庫)

 この建物前の市道は昨年、町並みにあわせて石畳風の舗装とガス灯風の街路灯が整備されたばかり、重要文化財である真宗大谷派函館別院と伝統的建造物の旧カール・レイモン居宅、昨年から一般公開された旧相馬邸を結ぶ道路沿いにあってその存在感は大きかっただけに残念でなりません。

 レンガの積み方を見ると、長手の段と小口の段を一段おきに積むイギリス積方式を採用しています。
 
  この土地の所有者には、この地域の歴史性、旧伊藤家住宅の歴史を伝承するようなファサードを求めたいと思います。


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