2011/02/10

松前藩の農業経営とTPP


1847年松前藩の奉行 
工藤茂五郎が寄贈した
亀田八幡宮の鳥居
  時代劇を見ると、何万石の大名という言葉が出てきます。戦で手柄を立てると何石加増された、領地を与えられて石高がいくつになったとかの話が出てきます。1石は2.5俵、約150キロの米で大人一人が1年間に食べる量を表しているそうです。

 米の取れなかった松前藩は、漁獲高から見積もって1万石格という身分を与えられました。サケ、ニシン、昆布、ナマコなどの海産物を商人を介して本州方面にアイヌ民族を介して中国に売ることで藩経済はとても豊かでした。そんな松前藩に転機が訪れます。黒船来航(1853年)です。215年間にわたる鎖国政策を転換して、アメリカと日米和親条約を結び日本は開国しました。

 そして箱館がアメリカに対する物資の補給港として開港すると、幕府は箱館を直轄地として奉行を起きました。幕府はロシアの南下政策に危機感を持ち、蝦夷地を東北地方の諸藩に命じて警護に当たらせました。その結果、蝦夷地全体を治め経営することで成り立っていた、米の取れない松前藩は藩経営の根拠を失います。漁業に依存していた松前藩は、農業で藩経済を維持していこうと現在の檜山郡厚沢部町館町に役所を置き開拓に取り組みます。1868年には館城を築き、松前から移転しますが完成後まもなく箱館戦争の戦火に包まれてしまいます。

 北海道の農業は道南からはじまりました、北斗市文月にある北海道水田発祥の地は、先人たちが何代にもわたって水田開発に取り組んだ労苦が伝わって来ます。その北斗市で「TPPから食と地域を守る道南総決起集会」が1000名規模で開かれます。

 菅直人首相は第3の開国と称して、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加表明を6月までに行なうとしています。いま、財界や全国紙がいっせいにTPPへの参加、農業開国を主張していますが、現在でも海外から多くの農産物を輸入しています。今日、帰宅途中に立ち寄ったスーパーで野菜、魚、乳製品、肉類の産地を覗くと、チリ、メキシコ、ニュージーランド、ブラジル、米、豪、露、伊、仏、蘭、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、中国、アルゼンチンなど実に多くの食料が輸入されています。第1次産業が基幹産業である北海道にとってTPPの締結の影響は大きく、関税がなくなってしまうと地域の崩壊にもつながってしまいます。2月14日,農業や漁業を守り育てる立場から私、本間かつみもこの集会に参加いたします。

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