2011/03/07

函館から北方領土を考える①

函館市湯川支所前

 2月7日が北方領土の日と制定される過程で、日本共産党は5月7日を千島の日にと提案しました。

 前者は1855年2月7日択捉島と得撫島の間をロシアと日本の国境と決めた日魯通好条約の締結された日、後者は1875年樺太をロシア、千島列島は日本の領土と定めた、樺太千島交換条約が締結された日です。

 戦争に勝って、手に入れたわけではなく、話し合いによって全千島は日本の領土となりました。 このことからも歴史的に全千島列島が、日本固有の領土であることは明らかです。

第2次世界大戦末期、日本と当時のソビエト連邦との間に結ばれた中立条約を一方的に破り、
対日参戦をしたソビエト。その背景にはルーズベルト・米大統領、チャーチル・英首相、スターリン・ソビエト首相がヤルタで結んだ秘密協定があります。ソビエトの対日参戦の条件が樺太、千島の領有だったのです。 ソビエトの対日参戦の結果、多くの民間人の血が流され、8月15日終戦以降にも尊い命が犠牲となりました。

樺太引揚者上陸記念碑(函館市大手町)

武力を持たない多くの民間人が犠牲となったのは、本当に許されない暴挙です。
日露戦争の勝利で手に入れた樺太(サハリン)を放棄することは当然だと思いますが、千島列島は1875年の条約によって平和裏にわが国の領土となったものです。

しかし、日本政府はサンフランシスコ講和条約で千島を放棄してしまいました。その後、国後、択捉は千島にあらずと主張しはじめましたが、この主張は国際的には通用しないものです。 


領土問題をわかりやすく解説した、書籍とパンフレットを紹介します。


「千島問題と平和条約」 不破哲三著 新日本出版社 1998年初版 定価840円

「尖閣諸島・日ロ領土・北朝鮮の砲撃問題を考える」日本共産党中央委員会出版局
                            2010年12月25日  定価100円

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