2011/06/10

大間、函館20キロ①



  大間から見た函館の町並                             
 















         函館と大間は以外と共通点が多い。同じ津軽海峡に向き合っている兄弟のようだ。豊かな海の幸を求め両岸の漁師たちはイカをマグロを追いかける。ともに漁火は夏の風物詩となっている。縄文時代早期の遺跡も互いの海岸段丘の上に広がっていた。函館空港の3千メートルの滑走路の下には中野遺跡と呼ばれる縄文の集落が眠る。




建設中の大間原子力発電所(2011.5.22)

大間の奥戸地区には白砂遺跡がある。しろす
なと読む。いまここの大地は大きく剥ぎ取られ
赤白の巨大なクレーンが立ち並ぶ。中心に民
有地を残したまま大間原子力発電所が建設中
である。

大間原発の工事がすすむ奥戸はオコッペと読む。北海道の興部(オコッペ)と同じアイヌ語で、川尻が交わるところという意味だそうだ。
国土地理院の地形図を見ると、奥戸川と小奥戸川の2本の川が流れている。この2本の川の河口部をオコッペと呼んだのだろう。青森県には江戸時代までアイヌ民族が住んでいた。たくさんのアイヌ語地名が残されている。



奥戸の農家に咲く八重桜(2011.5.22)

この奥戸(オコッペ)はジャガイモの産地でもある。函館船渠(のちの函館ドック)専務だった川田男爵が海外から英国商を通じて米国からジャガイモを購入する3年も前に同じ米国からバーモント・ゴールド・コインという品種を取り寄せたのが大間特産「奥戸のいもっこ」である。







本州最北端の大間崎(2011.5.21)
    
 
 本州最北端の大間崎からは晴れた日には、函館市街が一望できる。本州最北の地は、実は北海道最南端より北に位置している。大間町は松前町や福島町より北に位置している。

実はこの大間町には石川啄木も訪れているとか、地元の啄木会は「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の歌の原風景は条件のそろう大間崎の沖にある弁天島だと主張している。小島は弁天島のことで、磯は白砂だという。たしかに函館の大森浜は砂鉄を多く含み、とても白砂とはいいがたい。大間崎には啄木歌碑が建てられている。また、原発が建設されている白砂でこの歌を詠んだとの主張もあるそうだ。



道路上のかに(2011.5.21)





 5月21日午後8時30分、宿泊先の大間温泉海峡保養センターから大間崎を目指す。目的は大間崎から函館夜景を見るため。人影もなく通行する車もない道路を走る。海岸線に出て、車を走らせると道路の真ん中にヘッドライトに照らされた物体を発見。その形からすぐに「かに」だとわかった。
 
 車から降りて撮った1枚が左の写真。
近づくと両方のはさみを開き威嚇する。啄木のように蟹とたわむることは出来なかった。
せめて、安全なところに避難させて上げたかったのだが。


周波数80.7「FMいるか」も聴こえる(2011.5.21)
 大間と函館の間には、遮るものは何もない。
ただ目の前に海峡があるだけである。
だから天候次第で、それぞれのまち灯りも海峡を渡り届く、函館からは大間崎の灯台の灯り、大間からは汐首岬の灯台の光を見ることが出来る。

電波もそうである、函館地域のテレビ、ラジオの送信所はすべて函館山の頂上にある。
函館山から見える範囲には函館市民が視聴する電波が届く。大間は遮るものがないので電波も届く。右上の写真は車のナビゲーションシステムのFM表示だ。函館、青森両方の放送を聴くことが出来る。80.7メガヘルツ、大間ではFMいるかも聞くことが出来る。まるで、函館市内にいるようだ。



 大間原発が稼動して、福島のような事故になれば、大間と函館の間には何も遮るものがない、函館が大きな被害に遭うことは目に見えている。政権与党、民主党の岡田幹事長は大間原発推進と明確に発言している以上、私たち函館を含む道南に住む市民自らが声を上げ、大間原発中止に立ち上がらなければ、可能性に満ちた函館の未来への展望も失われてしまう。
 
 東日本大震災発生からちょうど3ヶ月となる明日6月11日、午後3時から千代台公園で2回目となる「バイバイ大間はこだてウォーク」が開催されます。悲しく、怒りたい気持ちもありますが、たくさんの市民のみなさんと楽しくウォークをしたいと思います。

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