2011/12/17

もしも函館県があったなら

 明治時代の一時期、北海道にも県があった。1882年2月8日から1886年1月までのわずか約4年間、3県1局時代(札幌県、函館県、根室県、北海道事業管理局)と呼ばれ、時任為基が函館県の県令(知事)をしていた。函館市時任町は彼がつくった時任牧場を記念してつけられ、彼の子孫に俳優の時任三郎がいる。


函館県第二博物場(北海道指定有形文化財)




函館公園には、1884年(明治17年)に函館県によって開設した、博物館が建つ。
函館県があったことを伝える証人だ。






 函館県の県庁所在地は函館区、エリアは開拓使函館支庁の管轄地を引き継ぎ現在の渡島総合振興局管内と檜山振興局管内全域と後志総合振興局管内の島牧村、寿都町、黒松内町、蘭越町の区域だった。当時道内の人口26万5千人に対して函館県は15万1千人と半数以上を占めていた。現在このエリアの人口は483,593人。(平成22年国調)


北海道庁赤レンガ庁舎(札幌市)



もしも函館県がその後も存続していたなら・・・

函館市には総合大学
「国立函館大学」があり、医学部があり、大学病院があり、多くの研究機関があり、学生の多いまちになっていただろう。


平成22年の国勢調査では47都道府県中、人口100万以下の県が8県、そして、県庁所在都市で函館市の人口を下回るのが6都市ある。

①鳥取県588,418  鳥取市197,391
②島根県716,354  松江市193,331
③高知県764,596  高知市343,416
④徳島県785,873  徳島市264,764
⑤福井県806,470  福井市266,831
⑥佐賀県849,709  佐賀市237,501
⑦山梨県862,772  甲府市198,838
⑧香川県995,779  高松市419,291
◆函館県483,593(当時のエリアで)
★道南 469,830(渡島檜山管内) 函館市279,110人                          


鳥取駅前(11月18日撮影)



 函館県が存続していれば、県庁所在地として強い権限を有して予算が与えられ企業の立地、函館本店の銀行があり、国体開催で市内には県立の運動公園があり、すでに県立のコンベンションセンター機能を有するアリーナはとっくにあるまちになっていただろう。そして函館の人口は40万を超え、函館県の人口規模も鳥取県規模になっていたかも知れない。


徳島駅前(11月10日撮影)




上の写真を見てほしい、人口19万の鳥取駅前と人口26万の徳島駅前の光景を、どちらの都市も県庁所在都市としての風格が感じられた。鳥取市はアーケード街がひろがり函館よりも商店が多いように感じられた。

この差は何なのか、県庁所在都市に富と権力があつまる構造になっているが、広い北海道には県庁(道庁)が一貫して札幌のみに置かれることになったため、ひとり札幌のみが栄える構造となった。北海道はあまりにも広大なため、県庁所在地の繁栄を県内に波及することはできず、逆に札幌は、地方中核都市から労働力を奪い自らを膨張させ地方都市の人口減を招き体力も奪う結果になった。

 政府の進める道州制のモデルが北海道である。道州制によってたとえば東北州ができると仙台に権力が集中して青森や秋田などの県庁が持つ権限が削られる結果にでもなれば、東北の地方中核都市も衰退の道を辿るだろう。

 これ以上の札幌への富の集中は許されない、函館をこれ以上衰退させないためにも、函館~新函館間の第三セクター化は全体許されないのだ。

 すこし力が入りすぎて、である調になってしまいました。
これからも硬軟織り交ぜて主張していきたいと思います。



    
  

 
  
















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