2011/06/20

10時40分函館駅前発湯の川行き終電


市電函館駅前電停


函館どっく前発、湯の川行きの市電が函館駅前に到着。


時間は午後10時40分
この電車が終電だ。


乗車すると、1日乗車券を手にした乗客など7,8名がすでに乗車していた。







夜の函館駅
  
函館駅の硬いベンチには、7名のホームレスと見られる男性が横になっていた。

 
 東日本大震災では、津波による冠水によって一時、函館駅が閉鎖された。


海抜1メートルしかないこの地域を2メートルを超す津波が襲ったため、朝市をはじめ、函館駅から豊川町にかけての臨港地域は大きな被害が出された。

大門横丁で、聞いたところ3月11日以降、本当にお客さんが来なくて大変だった、ゴールデンウイークに少し盛り返したけど、ご覧の通りお客さんは去年とは比べようもないほど少ないよ。

大門横丁は、出張でくるビジネスマンが多いけれど震災後は本当に少ないですねと。

JR函館駅から、摩周丸にかけての護岸に防潮堤を整備する予算が計上された。                                      

                                   

 

函館駅前の夜景
 150年前の箱館奉行日誌の中に 安政地震のときの津波被害について書かれた部分がある。

大町から豊川町、大手町にかけての津波被害のくだりを読むと、
150年前に起こった津波が今回のものと瓜二つで驚いた。

災害に強いまちづくり、歴史に学ばなければならない。1200年前の貞観地震を教訓にしていれば福島原発事故はなかったかもしれない。

11時01分深堀町に到着し下車した。

     


はこだて街角点描”テッセンの美しい花に魅せられて”





週2回しんぶん赤旗の配達をしています。

配達中に、庭先で見る花や植物の成長、
足元にいる昆虫の動きなども観察しながら配達をしています。先日は、蛭(ヒル)が移動中でした。

いま青紫色をしたとても美しい花が見ごろです。
左の写真はテッセン(鉄線)の花です。

美原4丁目の住宅の庭先に咲いています。











今朝も青空でした。
赤川1丁目の住宅に植えられている桜の木には、たくさんの実(さくらんぼ)がなっています。まだ緑色ですが、大きく膨らんだものもあります。

亀田川の歓喜橋近くでは
オオヨシキリの「チッチッチッ ギョウギョウシ ギョウギョウシ」という声が聞こえました。このオオヨシキリは夏に繁殖のために大陸から渡ってくる鳥です。

2011/06/19

金曜ロードショーのような函館湾の夕景



夕陽に映える函館湾です。

船見町の外国人墓地のあたりから
撮影しました。

停泊中のセメント船(右)を横目に
青森に向かうフェリーが通りすぎます。

この景色を見て、金曜ロードショーのオープニングテーマ曲「フライデーナイト・ファンタジー」を思いだしました。




函館湾を望む、船見町の住宅の庭では青色のルピナスの花が咲いていました。

墓地の中にある、メニューにピロシキのあるレストランは土日祝の営業で午後6時閉店とのこと。

美しい夕陽を見ながら、ロシアンティーでもと思いましが、一足遅く残念でした。

2011/06/16

深堀電停前で8回目の街頭宣伝




地元の支部の皆さんと大間原発は建設中止を





笹色ツートン色の811号が次の競馬場前へと進む






今朝は、6月19日に行なわれる、福島原発と放射能障害をテーマに行なう小倉浩夫先生の講演の案内などをお話ししました。


朝からすがすがしい青空の下で気持ちよく街頭から宣伝することが出来ました。

 午前8時の深堀町交差点は、行き交う車の交通量は多く、付近には高校や専門学校も多く、自転車で通学する生徒の姿も目立ちます。谷地頭やどっく、湯の川行きの市電も5分おき通り過ぎます。


 そして6時40分に羽田空港を飛び立ち函館空港に8時に着くAIR DO 4781便が降りて来ます。
 機体に可愛い熊のイラストが描かれているので「ベア・ドゥ」と呼ばれるボーイング737-500です。機体の長さが31Mのとても小さなジェット機です。

 小学生のとき、見たことのない飛行機が下りてくると自転車でよく空港に走ったものです。

2011/06/15

大間 はまなす 気仙沼

 日本共産党議員控室は8階建ての市役所本庁舎の7階にあります。

 目の前に函館山が迫り、元町の教会群も見渡せます。カトリック教会の鐘の音も聞こえてきます。

 私の席からは、下北半島の佐井村のあたりを見ることができます。

 
 7階の大森浜側からの窓からは、上の写真のように大間が見渡せます。




 そして、いまハマナスの花が見ごろです。

 左の写真は、市役所1階南側の壁面に植えられたハマナスです。

ハマナスは、北海道の花に指定されています。

 津波被害のあった宮城県気仙沼市に2009年9月に編入された旧本吉町の町の花でもありました。

 その気仙沼市に日本共産党函館地区委員会から古岡ともやさんら4名が今日から5日間の日程でボランティアとして派遣されました。

2011/06/14

函館まちかど点描 ”啄木とハマナスの花”


対岸、大間原発の大型クレーンも見えた


潮かをる北の浜辺の

砂山のかの浜茄子よ

今年も咲けるや


朝7時 啄木小公園に立ち寄りました。
曇り空でしたが、雲は高く函館山や函館近郊の山並みもはっきりと見えました。

啄木坐像の向こうには下北の山並みが見渡せます。啄木の生地、岩手県は江戸時代、南部藩が治めていました。

南部藩領は現在、岩手県と青森県となっていますが、青森県の下北地方と三沢や八戸がある上北地方は南部藩領だったところです。

江戸時代に描かれた、箱館絵図をみると、津軽半島は津軽と書かれ、下北半島には南部と書かれています。



啄木小公園のハマナスは今年も咲いた

戊辰戦争の時に、いち早く官軍側に着いた津軽藩にくらべ、南部藩は旧幕府側に肩入れしたために、旧南部領地は青森県と岩手県に分断されてしまいました。

 そして維新政府にとって宿敵だった、会津藩(現在の福島県の一部を領有)は明治に入って、領地を奪われ下北半島に斗南藩と名称を改め強制的に移住させられました。農作業になれない武士たちが米も出来ない不毛の地で辛酸をなめ亡くなった人も多いと言いいます。道南から近い下北の地には国策で、原子力施設が集中的につくられ原子力半島の異名がつけられています。

2011/06/12

バイバイ大間原発はこだてウォーク②


本町 電車道路をデモ

 
 東日本大震災と福島第一原発事故が発生してから3ヶ月目となった6月11日、日本全国で脱原発の行動がありました。
 

 函館市内では、バイバイ大間はこだてウォーク②が行なわれ、参加してきました。
 
 
参加者は5月28日に開かれた前回の倍となる約300人。




 

防護服のコスチュームを着て参加した男性


デモの前に開かれた千代台公園での集会では、クラリネットによるYou Raise Me Upの演奏に続いて、参加者全員が黙祷を行ないました。


 呼びかけ人のひとり、大間原発訴訟の会の竹田とし子代表は「これ以上、原発災害を繰り返してはならない。37%まで建設が進んでいる大間原発は実験ともいうべきもので容認することは出来ない。周辺に住む住民ははっきりとNOと言わなければならない。私は決して原発は平和利用ではないと思っている。原発被爆者を出すものは技術とは言えない。」







You Raise Me Up ♪ を演奏


集会(千代台公園)


千代台町の店先で、私たちもこれから参加しますと


 ピーター・ハウレットさんは、「今日は全国各地で脱原発の行動があります。旭川から沖縄まで大きな声で伝えていかなければならない。地震、津波は天災です。これはコントロールは出来ません。しかし、原子力の事故は人災です。原発は私たちがつくり、許したものです。こうゆう事故は二度と起こしてはなりません。大間原発が稼動して、もし30年後に事故を起こしたら、その時の責任者は誰ですか、私たちです。私たちの責任なんです。そして、函館はもう終わりです。観光客はもう来ません。(参加者から「私たちも住めません」)ここは20Km、100%安全はありません。これが原子力です。楽しく、しかし少し怒りをこめて歩きましょう。」
       (集会でのスピーチ)






                      

行啓通り


 ゴールとなった五稜郭公園前広場で、ピーター・ハウレットさんは

  「2週間前に行なった行動は、いまの半分でした。今日はその倍になった。
 次はこの倍にしたい。相手はものすごく力もお金もある。次回はこの倍の参加者にしましょう。子どもたちのために。

 今日は地震から3ヶ月です。大勢の人が亡くなりました。もう一度クラリネットの演奏をして終わりたいと思います。 
      曲はYou Raise Me Up 
          

  

ベニバナマロニエの花が見ごろ(行啓通り)

2011/06/10

大間 函館20キロ ②

 
 
日本共産党函館地区委員会と日本共産党函館市議団は6月10日正午より、本町旧グルメシティ前で救援ボランティア募金と大間原発中止を求める署名活動を行ないました。

 
 5月下旬に宮城県気仙沼市にボランティアとして参加した三国武治地区副委員長と6月15日から気仙沼市へ赴く、古岡ともや道政対策委員長がマイクを握り募金と署名を市民に呼びかけました。

 


 市戸ゆたか市議、紺谷克孝市議とともに私も参加、たくさんの市民が募金と署名に協力してくださいました。



 宮崎県に住むという男性は、岩手県遠野市災害ボランティアセンターから5日間津波被害の激しかった沿岸部の地域を瓦礫除去などのボランティアを体験。

男性は「函館へは大間からフェリーで来ました。大間の原発も見てきましたが本当に異常です。敷地内に民有地があり、そこにつながる道路も見てきましたよ。大間だけでなく日本の原発はみんな異常です。こんな異常な原発は中止させ、日本から原発をなくするため、ともに頑張りましょう。」 と話し署名をしてくれました。                                   

  

 五稜郭公園電停で市電を下車して地図を片手に周囲をキョロキョロしながら歩く姿の小学生たちの姿が見られました。

 どこから来たのと声を掛けると、その中の一人が「おおま」と元気よく答えました。

大間から?小学生の服に付けられた胸章を見ると、大間小学校とあります。


  修学旅行か研修旅行なのだろうか。
しばらく地図と睨めっこして、地図を斜めにしたり、逆さまにしたりしている。

 五稜郭か五稜郭タワーにでも行きたいのかなと思いつつ、何処さがしているの?と声を掛けると、「ラッキーピエロの五稜郭の方の店を探しています。」

未来ある大間の子どもたちのためにも、今大きな決断が必要なときです。子どもたちの親たちが声を出せない分、私たち函館、道南の市民が声をあげていかなければなりません。

明日のバイバイ大間原発はこだてウォークにみなさんも是非、一緒に参加しましょう。

大間、函館20キロ①



  大間から見た函館の町並                             
 















         函館と大間は以外と共通点が多い。同じ津軽海峡に向き合っている兄弟のようだ。豊かな海の幸を求め両岸の漁師たちはイカをマグロを追いかける。ともに漁火は夏の風物詩となっている。縄文時代早期の遺跡も互いの海岸段丘の上に広がっていた。函館空港の3千メートルの滑走路の下には中野遺跡と呼ばれる縄文の集落が眠る。




建設中の大間原子力発電所(2011.5.22)

大間の奥戸地区には白砂遺跡がある。しろす
なと読む。いまここの大地は大きく剥ぎ取られ
赤白の巨大なクレーンが立ち並ぶ。中心に民
有地を残したまま大間原子力発電所が建設中
である。

大間原発の工事がすすむ奥戸はオコッペと読む。北海道の興部(オコッペ)と同じアイヌ語で、川尻が交わるところという意味だそうだ。
国土地理院の地形図を見ると、奥戸川と小奥戸川の2本の川が流れている。この2本の川の河口部をオコッペと呼んだのだろう。青森県には江戸時代までアイヌ民族が住んでいた。たくさんのアイヌ語地名が残されている。



奥戸の農家に咲く八重桜(2011.5.22)

この奥戸(オコッペ)はジャガイモの産地でもある。函館船渠(のちの函館ドック)専務だった川田男爵が海外から英国商を通じて米国からジャガイモを購入する3年も前に同じ米国からバーモント・ゴールド・コインという品種を取り寄せたのが大間特産「奥戸のいもっこ」である。







本州最北端の大間崎(2011.5.21)
    
 
 本州最北端の大間崎からは晴れた日には、函館市街が一望できる。本州最北の地は、実は北海道最南端より北に位置している。大間町は松前町や福島町より北に位置している。

実はこの大間町には石川啄木も訪れているとか、地元の啄木会は「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の歌の原風景は条件のそろう大間崎の沖にある弁天島だと主張している。小島は弁天島のことで、磯は白砂だという。たしかに函館の大森浜は砂鉄を多く含み、とても白砂とはいいがたい。大間崎には啄木歌碑が建てられている。また、原発が建設されている白砂でこの歌を詠んだとの主張もあるそうだ。



道路上のかに(2011.5.21)





 5月21日午後8時30分、宿泊先の大間温泉海峡保養センターから大間崎を目指す。目的は大間崎から函館夜景を見るため。人影もなく通行する車もない道路を走る。海岸線に出て、車を走らせると道路の真ん中にヘッドライトに照らされた物体を発見。その形からすぐに「かに」だとわかった。
 
 車から降りて撮った1枚が左の写真。
近づくと両方のはさみを開き威嚇する。啄木のように蟹とたわむることは出来なかった。
せめて、安全なところに避難させて上げたかったのだが。


周波数80.7「FMいるか」も聴こえる(2011.5.21)
 大間と函館の間には、遮るものは何もない。
ただ目の前に海峡があるだけである。
だから天候次第で、それぞれのまち灯りも海峡を渡り届く、函館からは大間崎の灯台の灯り、大間からは汐首岬の灯台の光を見ることが出来る。

電波もそうである、函館地域のテレビ、ラジオの送信所はすべて函館山の頂上にある。
函館山から見える範囲には函館市民が視聴する電波が届く。大間は遮るものがないので電波も届く。右上の写真は車のナビゲーションシステムのFM表示だ。函館、青森両方の放送を聴くことが出来る。80.7メガヘルツ、大間ではFMいるかも聞くことが出来る。まるで、函館市内にいるようだ。



 大間原発が稼動して、福島のような事故になれば、大間と函館の間には何も遮るものがない、函館が大きな被害に遭うことは目に見えている。政権与党、民主党の岡田幹事長は大間原発推進と明確に発言している以上、私たち函館を含む道南に住む市民自らが声を上げ、大間原発中止に立ち上がらなければ、可能性に満ちた函館の未来への展望も失われてしまう。
 
 東日本大震災発生からちょうど3ヶ月となる明日6月11日、午後3時から千代台公園で2回目となる「バイバイ大間はこだてウォーク」が開催されます。悲しく、怒りたい気持ちもありますが、たくさんの市民のみなさんと楽しくウォークをしたいと思います。

2011/06/09

深堀電停前で7回目の街頭宣伝



選挙後7回目となる市電深堀町電停前の街頭宣伝。           毎週木曜日午前8時から約30分間行っています。



 今朝は宣伝場所に向かう途中、病院で私の担当だった元患者さんと出会いました。私の街頭演説が8時前からと勘違いされたようです。
 毎朝、リハビリも兼ねて散歩されているそうです。お元気そうなお姿にこちらも嬉しくなりました。   



今朝の宣伝には、人見支部から2名が参加して下さり、今後の市議会の日程、原発問題で函館の日本共産党が取り組んでいること、国会での動きなどをお話しいたしました。             

2011/06/02

深堀電停前で6回目の街頭宣伝



6月に入っても肌寒い日が続いています。
クールビズどころではないですね。

我が家では今朝もストーブをつけました。

定例となった毎週木曜日の市電深堀町電停前での街頭宣伝も今日で6回目です。

支部の方々5名も参加していただきました。

今朝は、「大間原発の建設中止を」ののぼりをもって街頭に立ちました。

菅内閣不信任決議案に対する日本共産党の対応について
今後の函館市議会の予定
大間原発を中止させるためのとりくみについてなどをお話ししました。