2012/02/07

北方領土の日

函館中央郵便局前の若松広路(グリーンベルト)にて

 
 今日2月7日は「北方領土の日」です。
日本とロシアの間で締結された日露通好条約が結ばれたのが安政元年12月21日、西暦に直すと1855年2月7日だったことによるものです。締結からちょうど今日で157年です。


 徳川幕府が出来た後、蝦夷地と呼ばれた北海道は松前氏によって治められましたが、松前氏は当初は大名ではなく、蝦夷島主と呼ばれ賓客扱いでした。アイヌ民族の居住する北海道は日本の国土ではなく、異域、日本の領土外という概念でした。


 しかし、江戸時代の後半になると北海道はおろか江戸にまで外国艦船が現れるようになり。徳川幕府は真剣に国土の防衛を考えるようになります。日本とロシアとの国境線画定に迫られた幕府は、日露通好条約を結び、択捉(えとろふ)島と得撫(うるっぷ)島の間に国境線が画定します。

 
 このとき、国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島が平和的に日本領になりました。これにちなみ2月7日を北方領土の日としたのです。



函館港を望む 旧ロシア領事館

日本政府はこれを根拠に、北方領土は我が国固有の領土と主張します。しかし、本当にそうでしょうか?

江戸時代後期は、千島だけではなく、樺太(現在のサハリン)の問題もありました。樺太は日露混住の地で国境線はなく度々、紛争が絶えなく幕府は箱館奉行の小出秀実をロシアに派遣し交渉したが不調に終わりました。

小出秀実も執務した五稜郭内の箱館奉行所


明治新政府は、北海道開拓次官、黒田清隆の北海道開拓を優先して、遠隔地の樺太を放棄する意見を採用し、榎本武揚を特命全権大使としてロシアに派遣して1875(明治8)年5月7日に
樺太・千島交換条約を結び、樺太はロシア領、得撫島以北の全18島が日本領となることが平和的に決められました。

その後、日露戦争で再び南樺太を手に入れ、太平洋戦争で敗戦。日本政府は、サンフランシスコ講和条約で全千島を放棄してしまったのです。

日本共産党は、樺太・千島交換条約によって平和的に日本領とされた全千島を日本領土と考えています。
日本政府は、アジア太平洋戦争(侵略戦争)の総括ができていないため、侵略戦争で獲得した領土と、平和的に領土となったところの区別ができません。

しっかりと戦争の総括をしたうえで、国際交渉に臨まなければ千島列島は返還されないと思います。






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