2012/08/11

江差姥神大神宮渡御祭④


姥神大神宮前には、下町巡幸を終えた13台の山車が集結し、圧巻です。






 唯一の船山(船形山車)松寶丸(まつほうまる)は、弘化2年(1845年)3月につくられた山車で北海道有形民俗文化財にも指定されている山車。

 弘化という元号は、天保と嘉永の間です。仁孝天皇と徳川幕府第12代将軍徳川家慶の時代です。浦賀に黒船が入港する8年前に出来た山車といいいますから、この祭が北海道最古といわれるのも頷けます。

松寶丸には、写真のように稚児が乗っていますが、疲れたのでしょう。熟睡しています。




 午後9時を過ぎて、「宿入れ」が行われます。三つ神輿が参道を行き来するのですが、火が付けられた松明(タイマツ)を先導に、まず若衆が担ぐ神輿が大神宮の拝殿目掛け、走り出します。この

 宿入れの儀式は、神様から一度では神輿を納める許しを得ないということになっており、最初の若衆の担ぐ1基目の神輿は7度、2基目の神輿は5度、3基目の神輿は3度往来して納まる
ことになっています。

 拝殿前は階段になっているので、神輿を担ぐのも大変です。
行きては、戻りの連続で、戻るときには参道を囲む大勢から拍手が沸き起こります。




 この山車を曳く祭礼は、福島大神宮例大祭、乙部神社例大祭、根崎神社例大祭(熊石)など、松前藩が治めていた地域に山車(ヤマ)を曳く祭が受け継がれていますが、その最大なものが江差町の姥神大神宮渡御祭です。

 残念なのは、函館八幡宮例大祭もそのひとつだったのが明治以降いつの日からか行われなくなったことです。
幕末のフランスの新聞には箱館八幡宮の3つ山車が曳かれる挿絵を紹介しています。そのひとつは船山です。

 札幌の北海道神宮の例大祭では、山車を曳いていることをいまはじめて知りました。札幌は明治2年から本格的な歴史がはじまります。 蝦夷地一を標榜していた函館八幡宮から、北海道一の座についた北海道神宮(当初は札幌神社と呼んでいた)に権威を奪われ、曳山の歴史、文化がどのように失われていったのか気にになるところです。

函館にもまた曳山を再現できないものか、笛や太鼓の音色はどうだったのか博物館や図書館で調べてみたいと思います。


 
 
 

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